熱海にある來宮神社にて、五十猛命様より賜りました御神託です。
五十猛命の御神託
我 触れずとも感応す
思い上がるな
互いに生かされておる
忘れるな
都合を取るでない
まっすぐであれ
一途であれ
何事か遂げてみよ
紐解き
「我 触れずとも感応す」
神の御力は、形に触れずとも通い合うもの。
神社の木々、鳥居や狛犬、柱。
それらに無闇に触れずとも、畏敬の念を抱き、真心で手を合わせる者には、
その場に立つだけで、すでにエネルギーの交流は起きています。
もし自宅に他人が訪れ、体や大切な物に遠慮なく触れられたとしたら、あなたはどのように感じるでしょうか。
御神域も同じこと。
形に触れるかどうかではなく、問われているのは、心のあり方なのです。
「思い上がるな」
人は、物事が少しうまく運ぶと、それを自分ひとりの力で成し得たかのように思い込みがちです。
神の気をわずかに感じたからといって、特別な存在になったわけではありません。
人の心は、時が過ぎれば、感謝も畏れも薄れてしまうもの。
その慢心を、神は厳しく戒めておられます。
「互いに生かされておる 忘れるな」
私たちは、自然に生かされ、見えぬ存在に支えられています。
多くの存在があってこそ、今の自分がある。
すべての命は大きな循環の中にあり、ただ一つで成り立つものは、何ひとつないのです。
「都合を取るでない」
神の言葉を、自分に都合よく解釈してはならない。
欲のために神意を利用してはならない。
それは祈りの本来の姿から、離れてしまうからです。
「まっすぐであれ 一途であれ 何事か遂げてみよ」
神は、努力なき願いを叶える存在ではない。
小さなことでもよい。
逃げずに、曲がらずに、一つを貫き、形にしてみよ。
神の後押しは、本気で歩む者にこそ現れる。
真っ直ぐに生きる者に、一途に努力する者に、力は宿るのです。
私たちは日々、生かされていることを忘れず、ただ一つでよいのです。
ご自身が大切だと思うことを、丁寧に、真心を込めて成し遂げてください。
この御言葉を胸に抱き、今日という一日を、まっすぐに歩んでまいりましょう。




